どうも、みなさまオハコンバンチワ。ペロでございます。
どうですか発達障害のみなさま。嫌な記憶を思い出して悶絶していますか?
ボクは週3くらいで
「みんな死んじゃえばいいのにぃい!!」
と叫んでいます。
今日はそんな「辛くて恥ずかしい嫌な記憶」について。
最近、発達障害との向き合い方を考えていて「上手に付き合う」というのも違うのかな?と思い始めていまして。「上手に付き合う」というよりも「自分のやりたいことにどう繋げて従わせるか」かなーと今漠然と思っています。
今日はそんな考えを久しぶり文字化してまとめてみたいと思いますので興味があったらお付き合いくださいませ。
それでは、いってみよう!
辛く恥ずかしい悲しい記憶の永住権
発達障害の特徴の1つとして「嫌なことをずっと忘れない」と言う特徴があります。
散歩1つをとっても、道の所々でやってしまった若気の至りや愛していた人との些細な喧嘩など、嫌な記憶がふとしたきっかけで鮮明によみがえり「ひぃぃやぁああああ!!!」と叫びたくなることなんかザラ。
かといってそんないやなことばかり考えてるかといえばそういうわけでもなく、5分もしないうちに次に目に入ってくる緑やチビッ子達の笑い声などで楽しい気分にもなっていたりする。ADHD特有の「次から次へ」ですな。
この間、病院の先生とお話ししたところ全くもって信じられないのだが、普通の人は嫌な記憶を上手に忘れているらしい。そうしてストレスを上手に処理をしているみたいだ。すごいな人間。
ところがどっこい発達障害は嫌な事はいつまでもずっと覚えているくせに、大切なこと、大事なことを忘れてしまうという機能が付いてるわけだ。まぁ多分興味が「一番好きです!」って言えるくらいないからだと思うけど。
とくにかく、100%の興味がないと辛く悲しい記憶以外はあまり定着しない。
ボクたち発達障害は、辛く恥ずかしい悲しい記憶にのみ永住権を配っているのだ。
永住権の活用法
ただ、そんなポケットテッシュのように配った永住権の利点を挙げるとすれば、その嫌なことを思い出すときの情景はまるで、今現在そこで起きた出来事かのように思い出されることだ。
もしあなたが曲、もしくは絵画や小説などの何か表現することをしているのであればこれはすごく大きなメリットになると思う。その時の情景を思い浮かべればいつでもどこでもタイムスリップして、どの時の誰にでも会えるのだ。
それなら、その人や事柄に対しての「今なら分かること」や「今でも変わらない気持ち」などを思いっきり表現すれば良い。
作品の良し悪しは自身のスキルによるものだからひとまずそこは置いておいて、作品作りの初期衝動としては強烈なチートになる。あとは自分自身のスキルを向上させていけば仕事や作品はどんどんよくなっていくはずだ。
総監督には自分を起用しよう
※以下の話は「自分の好きな・得意なこと」に関しての話です。もし自分に向いていない、もしくはやりたくない仕事をしている人はそこから離れることから始めましょう。「そんな簡単にできないよー」っていうお話はまた今度。
そして、これは仕事にも言えるんだけどいつも作品に向かい合う時は「自分」を総監督にしましょう。「これでOKされるだろうか?」「これは受け入れられるだろうか?」と第三者の基準を持ってきては絶対にダメ。
これはよくある芸術の「自分の表現を大事に!」みたいなゴミの話じゃなくて、理由は発達障害は自分を他人と比べたりすると途端にポテンシャルが落ちるんです。そのくせ自分が障害だという負い目から「他人の枠や常識」に自分をはめて比べたがる。
こうなったらもう何もうまく行きません。できた仕事や作品で自分が満足してるかすらわからなくなります。「アレがあの時こうだったから」「あそこであの人にこう言われたから」みたいな言葉が出てきたらもう完全にアウト。
自分に気づくというのは本当に大変だけど、気付けるのも自分だけ。
自分の中の違和感に注意して、その違和感がなくなるまでトライしつづけて自分自身のOKを自分で見つけましょう。
「悲しい記憶の永住権」まとめ
まとめて言うと
- 嫌な記憶をいつまでも覚えてるのって発達障害の特徴らしいよ
- だったらそれを自分のやりたいことで有効活用できんじゃね?
- あ、でもちゃんと「自分が」満足できることをやり遂げようね
ということでした。
今回は活用法として「仕事・作品作り」のお話をしましたが、きっとそれ以外にも活用法はあると思いますので、個人個人みなさんで「自分だったらこれかなー」みたいなやつを考えてみてください。考えなくてもいいです。やりたいことをしてください。
すごく久々に発達障害について書きました。最近病院を変えてちょいと思うことが増えてきているのでまた数がふえるかなぁー
自分に強制が一番しちゃいけないけど、お酒をのまず日を浴びて散歩するといい気分になるのは忘れないようにしなくちゃですね。
では、また。